2017 / 09
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夢 おみやげに出てきた「社会の抜き打ちテスト」ですが、
私が出来る事は「実家で父と一緒に食事をする事」かなと考えて
25日に実家へ行ってきました。
今まで「話す」ことをサボっていた訳ですから、その分を取り返さなくてはいけない。
実家は「音」の修業の場でもあったのです。

今年の春に父とマンションで同居するという話を以前書いたと思いますが、
いろいろと事情が変わってきました。

そもそも父がその事を決心したのは「子供の為」だったのですね。
実家の土地が祖父の時代からの借地なので、父はいろいろとゴタゴタがあったらしく
子供達にこの思いをさせたくないから自分の代でスッキリ処分しようと思ったそうです。
私達はそんなこと全然気にしないから、父が好きなようにすれば良いと言って見守り、
父は実家を自分が生きているうちに処分する事を決めてました。

でも年末の食事会で再度その話題が出たので、私は父に提案しました。
今まで一度も実家を離れて生活したことがない父が、
実家を失くしてしまう事の意味が理解出来ているのか不安だったので
「帰りたくなった時に実家がないという現実は辛いよ?
 実家はそのままにして私の所に取りあえず住んでみて、
 それから考えればいいんじゃない?」と。。。

父の方も「実家を離れる」という現実が日々近づいて来ると
ここで過ごしている日常が何物にも替える事の出来ない時間だと気付き、
この家を離れ難い気持ちに変わってきていました。
食事の時に毎日見ている「いつもある目の前の自然の風景」。
朝起きて外で体操している時に見る風景。
誰にも気兼ねせずに大きな音を出せる家。
自分のペースで生活することで「ストレス」を感じずに済む家。
何よりも祖父が父の為に残してくれた家だと、父自身が実感している大切な家です。

祖父は昔、父と言い争いの後に父に「出て行け」と言い出した事がありました。
でも冷静になって考えたのか後日には「自分たちが出て行く」と言いました。
父の弟夫婦の家に同居するからと、実家を出て行ってしまったのです。
それからというもの、祖父母は実家に戻る事が出来なくなってしまいました。
亡くなる数年前には「老人ホーム」を探しているという話を父は伝え聞いてます。
そんな事するなら実家に戻る様にと、父は祖父に何度も話していましたが
弟夫婦に長年世話になっている手前、そんなことは出来なかったみたいです。

多分、祖父母は何度も実家に帰りたかったと思います。
自分たちが建てた愛着のある思い出深い家なのですから…。
でも出来ない現実があった。
それは自分たちが作った原因でもありました。

そしてそれと同じことを、今度は父がしているのではないかと感じたのです。
子供たちの為を思って「実家」を取り壊したら
もう帰りたくても帰れる家がないのです。
子供たちの事よりも、自分の事を一番に考えて欲しいと父に話しました。
後悔しないという決心が付いたら、その時に処分したら良いのではないかと。
すると父は言いました。
「祖父が自分の為に建てて残してくれたと思えるこの家にずっと居たいと。」
それで私のマンションで同居の話は、保留となってしまいました。

一番良いのは父と実家で一緒に暮らす事なんですよね。
年老いて行く父が心配でもありますし…。
でもそれにはいくつか問題点がありました。
それは前に母の介護時に、実家で寝泊りしていた時に痛感した問題点でした。

隣に有った唯一のスーパーが無くなり、買い物は車でしかいけない距離になり
車の免許がない私はバスで街まで買い物に行かなくてはいけなくなり
バスの時間も1時間に1~2本で不便だったりもしますが、
でも一番の問題点は「騒音」でした。
家の前の道路の騒音もありますが、これは慣れればなんとかなります。
絶対に慣れる事が出来なかったもの、それが「テレビの大音量」でした。

父は職業柄、騒音の中で過ごすことが多くて若い時から「難聴」ぎみでした。
それが年を取るに従って酷くなり、「テレビの音が聞こえる」音量は度を越えてました。
台所で戸を閉めても大音量は筒抜けに聞こえてきます。
大音量を目の前でずっと聞かされる地獄…。
これが一番の悩みでした。
2時間も居れば頭痛がしてきます。

昔介護していた時にあまりにも煩かったので父にお願いして低くしてもらいましたが
それでも大音量には変わりませんでした。
私が我慢できる音量では、父は聞こえなかったのです。
それならと集音器を父にプレゼントして、最初は問題解決になっていたのですが
私が回す掃除機の音まで拾ってしまい、「使えない」と止めてしまいました。

私に合わせて音を低くしてもらうと、父の方が全く聞こえなくてストレスになります。
結局、実家で過ごす以上は「父に合わせる生活」になります。
でもこの「騒音」だけは我慢できませんでした。
これでは私のストレスが貯まるばかりだと感じたので、別に住んで通う事に決めました。

だからたまに実家で過ごすと、余計に騒音が煩わしくなってくるんですね。
実家で過ごすのも2~3時間が限度でした。
昼に実家に行って食事を作っても、夜まで時間があると耐えられなくて帰ってました。

だけど、最近「音」の因縁が私にあると気付いたんですね。
人と「話す」事をずっと避けてきたから、そのツケが実家の「騒音」なのかな。
溜まりに貯まって「爆音」となって私に返ってきただけなのかなって。
だったら「実家に行って父と食事しながら会話する」事が、
私の出来る音の因縁消化なのかもしれないと思ったのです。
それが夢の中の「社会の抜き打ちテスト」であり、母の「みやげ話」なのかなぁと
そんな風に思えて来たんですね。
それで25日に実家へ行って一緒に食事してきました。

台所で料理を作っている時に、父がテレビを点けたので
最初はやはり大音量が気になったのですね。
「うわっ!!!やっぱりうるさいなぁ…」と。
でも「これも私のこれまでのツケなのかもね」と考えていたら
あんなに煩かったテレビの騒音も、次第に気にならなくなったのです。
相撲を見ながら「興奮してテレビに話しかけてる父」に笑えて来たり。
今までは「煩さ」に苛立って、父のこんな行為もイライラしながら見ていたと思います。
この変化に驚いて、不思議だなぁ。。。と感じてました。

原因が自分にないと思っていると「イライラ」してくるけど
自分の因が戻ってきたと納得したら気にならなくなった。
納得して受け入れたら、心の余裕が出来てくるのかなぁと感じた一日でした。




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miraes

Author:miraes
夢を中心に書いてますが、日常と照らし合わせて自分を見つめようと模索しているブログです。
 

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