2017 / 10
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昨日、金スマを見ていたのたのですが
「春香クリスティーンさん」の変化が物凄かったですね。
最初は「モノに埋もれた汚い部屋」で生活していても何も感じることなく、
誕生日に貰ったケーキも箱に入ったままの状態で埋もれていました。
モノに対して「感謝」というものを全然感じられない状況が見て解りました。
生まれがスイスだから?
生まれた環境が違うから?
いえいえ、そんなことは全然関係がなかったんですね。
「気付かなかった」だけなんですよね。

その証拠に、モノに対して、部屋に対しての「感謝」を感じてからは
次第に愛着が出てきて、部屋を自主的にお掃除するようになりました。
誕生日に貰った「花束」が枯れ果てている姿を目にして彼女は
突然大声で泣き崩れてました。
この変化は凄いなぁ…と、とても気付かされました。

私も似たようなものだったなぁと、過去を振り返って思ったのです。
部屋を汚くしているという意味ではないですが。(笑)
私も「感謝」ということに「気付けない」女だったのです。
「当たり前」だという感覚が常にあった…。

バブル全盛の時期に勤めていると、勘違いして感覚が狂うんですよね。
お給料は貰うのが「当たり前」
休暇も当然の権利で「休みを取るのが当たり前」
仕事時間に歯医者に行くのも「当たり前」
ヘタすると仕事時間内に「自分の買い物」も平気でしていた。
ちゃんと「〇〇へ行きます!」と言いさえすれば許されると思っていた。

上司に食事を御馳走してもらうのも(どうせ社内費だからと)当たり前。
自分の過去の姿を振り返って「感謝」という言葉は存在していませんでした。

そんな時、友人に誘われて入ってた新興宗教〇〇〇の接心で初めて
「感謝ですよ」と言われました。
言われて初めて「感謝」を意識するようになりました。

当時の接心で頂いてた言葉に
「羊羹を誰かに切って貰って、前に差し出されるのを待っている」
「座布団を渡されるのを待っている状態」と言われた事もありました。

何もかも人がやってくれるのを「ただ座って待っている状態」だと
指摘されていたのです。
これ今考えると私の「依存体質」の因縁そのものですね…。

短大の入学式の時、持参すべき書類を「母」が持ってました。
それを先生に指摘され、みんなの前で
「なんであなたの書類を、あなたではなくてお母さんが持っているの!」
と強く叱られました。
私はこの先生の言葉で、母にすべてを依存していた自分に気付きました。
それが当たり前だと思っていたのです。
でもみんなは「自分が持っていた…」
私はとても恥ずかしかったけど、
でも言ってくれたおかげで「気付く」ことが出来ました。
本当は言われる前に自分で気付ける方が一番いいんですけどね。(;^_^A

そんな出来事を経験して、
私は「なんでもやってくれる母」の元にいると依存して自分がダメになる、
このままではいけない、自分を変えなくてはと思うようになり
結果的に東京へと上京することになったのです。

東京で一人暮らしを経て、自分の事は自分でやるようになり
少しは依存体質から抜け出れたかなと思っていましたが
それでも会社に依存していたに過ぎなかったのかもしれません。
「感謝」という言葉を知らずに生活し、
自分が受ける事は「当たり前」だと勘違いしていた自分がいました。

それが昨日のテレビの「クリスティーンさん」と重なったのです。
ああ、私も同じだったなぁと。。。

新興宗教〇〇〇は、結果的に違うと感じたので脱会しましたが
それでもすべてが悪かったわけではありませんでした。
ちゃんと大事な事は言って貰っていたのです。
「感謝ですよ」
「羊羹を誰かに切って貰って、前に差し出されるのを待っている」
「座布団を渡されるのを待っている状態」

これがきっかけで「感謝する」ということを深く考えるようになったし、
私が気付くべき「依存体質」をちゃんと指摘されてました。
善悪、両方あったんですね。
それに気付かずに、悪い面だけを見て「否定」していました。
そこは間違っていたなぁと反省しています。

あの時言っていただいた「依存体質」を、
十数年経った今やっと「理解」できました。
大変遅くなりましたが、感謝を述べたいと思います。
ありがとうございました。<(_ _)>

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【】
昨日、3月9日は、サンキュー(thank you)の日でしたし・・・♪

周囲の人々、出来事、自分自身の過去の経験、全てに意味が
あるんだなぁ~、と感じて、感謝せずにはいられない毎日です。
今ここに生きていることは、奇跡なんだなぁ~と思うと、全てが
愛おしくなります。。。
【】
そうですね。
私はまだまだ感謝を忘れがちで。
その都度思い出して感謝するのが精いっぱいです。

昨日の番組で「モノを捨てる時にありがとう」と言ってから
捨てるようにって言ってたんですね。
そんな事やってなかったなぁ。。。としきりに反省しました。
本を捨てる時も「これ、もういらない!」とパッサバッサ捨ててましたから。
物に対しての感謝が、できてなかったなぁって、
テレビの彼女とまったく同じだったんです。

ひろみさん、全てが愛おしくなるんですか。
凄いなぁ。。。
そこまではまだまだ遠い道のりですかね。(;^_^A アセアセ・・・
【管理人のみ閲覧できます】
このコメントは管理人のみ閲覧できます
【感謝依存・・・】
〇〇〇さん、こんにちは。

>「感謝」は感情と同じ。
>ダイヤルがパチッと合うと、ぶあ~と広がるもの。

あー、これなら理解できます。
これでいいんですかね。
「心からの発信」が足りないだけだったんですね。(;^_^A アセアセ・・・

後半部分ですが、「失った」ことが一度ありました。
私の「口」のせいで。
だから余計に「その怖れが強すぎる」のかな…。
元に戻すのが大変だったので…。
原因は別で、私の違う部分にあったという事かな…。

この出来事の意味がまだ自分で消化できていないので
ここを考えるべきなのかもしれませんね…。
ヒントをありがとうございました。
【管理人のみ閲覧できます】
このコメントは管理人のみ閲覧できます
【】
やたらめったら、「感謝」の連発もこまりものですよねぇ~。
まさに、感謝依存だと思います。

ただ、いろんな出来事を経験して、全ての感情を味わったら、
やはり、最後に残るものは、今生きていることのへの感謝であり、
まわりで支えてくれている人達、先祖、自然への感謝なんだなぁ
と思います。
それが、未来への希望へつながっていくんだなぁ~と思うのです。
【】
「感謝依存」は私に対しての言葉だったので、ひろみさんではないですよ~。
誤解されたようでしたら、ごめんなさいね。

多分、感謝をしなければ「何かを失う」という心があるのかもしれません。
その為に感謝しなければという「本末転倒」になってくる。
「しなければ」ではなく、「自然と心が感謝に反応する」ことが大切だと気付きました。

だから、あんまり「感謝」を意識する必要はないんだなと思いました。^^

【そう思います。】
感謝にしても、愛にしても、自然にわきあがってくるもの。
それは、怒りや憎しみや悲しみも同じ・・・。
感情の噴出は自然のものとはいっても、その表現の仕方は
ちょっと気をつけないといけないんじゃないかな、って思っています。
瞬間的な噴出は良いとして、その後、継続させすぎたり、囚われて
しまうのはちょっと違うな・・・って気がしています。

すごく難しいのが「素の自分」「ニュートラル」であることだと思います。
できるだけ心がけていますが、子供に対してヒステリックになったりもしますし・・・。
修行は続く・・・という感じです。
【】
そうですね。
みんな日々、自分と格闘の毎日なんですよね。
やっぱり自然と変われるようになるのが一番いいのかな。

今朝見た夢で気付いたんですが
「心の在り方」が一番大事なのかなと思いました。
心で思った事が、現実に現れてくるような気がします。
昨日もありました。
そのことで、気付いたことがあったので記事にしようかなと思います。^^

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miraes

Author:miraes
夢を中心に書いてますが、日常と照らし合わせて自分を見つめようと模索しているブログです。
 

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