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今日、叔母から吉報が入りました。
似たもの家族に書いた叔母です。
今日知ったのですが、叔父さんが前立腺ガンの手術で入院してからというもの
不安で叔母の体調も変化したらしく、血尿が続けて出て不安になっていたと。
それで娘さん達が一緒に気弱な叔母を病院の検査に連れて行ったそうで、
その結果を知らせてくれました。

叔母は以前にも「卵巣嚢腫」で手術したことがあったので
特に病気関係には弱いらしく、今回もとても不安だったそうです。
多分叔父の事がなければ、余計に不安に感じていたかもしれません。
でも「叔父を自分が支えなければ誰が支える!?」という使命感で
今回はなんとか気持ちを乗り切ったと言ってました。

そんな叔母の心配から来るストレスだったのか、検査の結果は、
「子宮に異常なし」「血尿も異常なし」という有り難い結果でした。
ただ「腎臓が弱っているので注意するように」とのこと。
本当に異常がなくて良かったです。\( ^o^ )/

この事を今日知ったのも、なんとなく意味があるんだろうなと思いました。
今日は2/29で肉の「いけ〇〇の日」。
子宮が生〇にされ続けてきた古代からの過去を振り返ると、
本当に未来が変化した瞬間に思えます。
叔母の吉報は、そのお知らせだったのかなぁと思えてきます。
感謝ですね。^^

子宮関係にトラブルがある叔母は、イザナミさんと因縁が深いのかもしれません。
そんな叔母が日常の気付きで自分の因縁を解いて乗り越える事で、
きっと女性の未来も変わってくるんですよね。
そんな雛形の女性がたくさんいて、それぞれが乗り越えることで
未来の変化する確率が増えていくのかなぁ。。。なんて、思ってしまいました。

去年の叔母は、叔父の病気の癌検査の日に、
私に「祈って」と頼んでいた「弱さ」がありました。
見えないもモノにすがろうとする救いを、外に求めていたように思います。
そんな叔母を「言葉」で説得しようとしましたが、あまり伝わらなかったと思います。

でも私自身も、いろいろと日々変わってきて、
「同じように違う弱さを克服しようとしている」と自分の経験談を話したら
叔母は何か納得できたようで、
現実を受け入れようと努力しているように感じました。
そんな叔母の姿を通して、強くなったなぁと感じました。

他に救いを求めるのではなく、きちんと前を向いて現実を受け入れ、
それを自分で乗り越えようとしている。
だから検査の結果も「問題なし」だったのではないかなと思いました。

叔母を通して、私は学ばさせて頂いてます。
叔母さん、ありがとうございます!


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昨日「自分的な反転」を書きましたが、
これもどうやら先走りしていたみたいな感じでした。
今日見た夢で、なんとなく次の節目が解った気がします。
この「待ち合わせ」の事を言っていたのかなぁ。。。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++
2012. 2.26.(日)   旧暦 2/5   月齢 4.2

旅館にグループで来ていた。
メンバーの一人が部屋風呂に入っていて、
その人がお風呂から上がったら、大浴場にみんなで行くつもりだった。

私は時計を見てだいぶ遅くなっていたので
「もう夜の8時半だよ、今からお風呂に行ってると食事が遅くなるので、
 先に食事にしない?」と提案していた。
それでみんなで食事に向かう事になった。

途中でみんなの姿が見えなくなって逸れてしまったみたいで、
必死になってみんなを探していた。
旅館の人に聞いたら「花かご」の部屋だと言われて、そこに向かう。
花かごにたくさんの小皿料理が入った和食コースみたいだった。
何度も端から端まで探すが、やはりグループの人達はいなかった。

旅館の仲居さんにどこか場所を尋ねると、
「ここにいなければ別館かもしれない」と言って連れて行ってくれることになった。
歩いている途中で
「別館はここから歩いて大分かかるけど、そこかどうかはわからないよ」と言った。

私はこれから数十分もかけて歩いて、それでも違っていたら
また戻らなくてはいけないし…と考えたら、段々と腹が立ってきた。
「今から行って食事して、それからお風呂に入ったら、寝る時間が僅かになるよ、
 もういらないから食事料金をキャンセル出来る?」と仲居さんに怒っていた。

仲居さんはその言葉を聞くと、とても意外な顔をして、
みるみるうちに悲しい顔をして泣いていた。
言われたのが悲しいという感じではなくて、
「私にそんなことを言っても・・・」と困り果てたような呆れていたような顔だった。

場面が変わってパソコンを見ていると、私のブログにメール通知が2件入ってた。
でも時間的なものか何かはわからないけど、
前に戻っていたようなそんな感覚があって何だろ?と考えていた。

そこの場面かどうかはわからないけど、
「ワン」という犬の鳴き声が頭の中で聞こえて目が覚めた。


マンションにいる犬の鳴き声とは違う、ちょっと変わった「ワン!」だった。
これ、きっとメッセージなんだと思う。

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最初、起きた後に「また、延々と逸れている夢?」といい加減頭に来ていました。
私が必死になって「待ち合わせに遅れないように感じ取ろう」として
いろいろと試してやっている事が全部的外れに思えたからです。
「知識で考えるな、日々の気付きで気付くだけでいいんだよ」そう言われてるのかなと。

だったら、日々の日常の事だけを考えていたらいいんだよね?
待ち合わせの時間に遅れようが、それは私は考えなくていいんだよね?
だって私の日々の気付きなんて、そう毎日あるとは思えないし。
一人暮らしだから、接触する人間もゼロの日が多いしね…。
それでもいいんだよね?って事になるんですよ。
私のペースでやればよいのかなと。

だったら、「時間守れよ!」とか何で夢で言ってくるのかなって思うんですよ。
ゼロ感の人間に、そんな事言っても解んないよ!!
日常の約束の時間はちゃんと守ってるんだから!!
もういい加減、深く考えるのは止めようかなと思ってました。

でも、夢の内容をよーく見たら、ちゃんと旅館にはいたんですよね。
一昨日は逸れて旅館を探す方法も解らずに、車で連れて貰っていたのに
今日の夢はちゃんとメンバーと合流している。
合流した後に、また逸れてしまったんですね。
でも「車」ではなくて「歩いて」捜しているんですよ。

食事と「花かご」もヒントなのかなと思えました。
一旦メンバーが合流した後に、またそれぞれの日常の気付きに戻るのかな。
それで次の「待ち合わせ場所」に向かうのかな。
そこに「遅れないように」という意味の夢かなと思えてきました。
一人逸れてしまったのは、まだまだ次元差が大きく違うからだと思います。
連れて貰って合流していたのが今までなのかな。
だから一人で時間がかかってもちゃんと歩いて来なさいと言うことかな。

別館に案内してくれていた仲居さんは「指導員」なのではないのかな。
私を指導してくださっている見えない世界の存在?
だから本当は私に問題があって遅れてはぐれているのに、
さも旅館に問題があるような言い方で私が怒っていたから
「悲しそうな、呆れて困り果てたような表情」だったのかな?
全部自分の責任なのにねって。(;^_^A アセアセ・・・

後半のブログメールの件は、タイムスリップとかデジャブ的な感覚なのかな。
時間で考えるのではなく、時刻で考えろと言うメッセージ?
それでワン♪なのかなと感じました。
気付き次第で、待ち合わせの瞬間に戻れるんだよ。
そう言う意味で、昨日の夢 反転
「次の待ち合わせ」の予告編だったように感じます。
今度は早めにお知らせしておくから、ちゃんと良く考えてねって。

次の節目の反転は、取りこぼしがないようにしようと思ってます。
ワン♪がどえりゃーヒントになったでよ♪(^-^)vブィ



今朝見た夢です。
とってもメッセージが強い夢だと思いました。

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2012. 2.25.(土) 旧暦 2/4 月齢 3.2

どこかの広場みたいな会場にいた。
私は椅子に座っていて、
椅子に車輪が付いているみたいで前にどんどん進んでいた。
コンサートがこれからはじまるみたいな感じだった。
私は会場の通路を一人動いて目立っていたので、
恥ずかしくなって後ろに後戻りしていた。

私より前の人達は椅子もなく直接地べたに座って歌を聞いていたので、
前の舞台が良く見えた。
私の列から後ろは立って歌を聞いている人たちが殆どで、
私は一人椅子に座って聞いていた。

歌が終わって繋ぎに、コントみたいなものをやっていた。
外人さんが日本語で一人漫才みたいなものをやっていた。

場面が変わって、アパートに住んでいたが、
知人も近くに住んでいたみたいだった。
朝の8時頃に突然、凄い音量で音楽が流れた。
どうやら知人が意図的に、音を流した感じだった。
私の部屋にも音が大音量で聞こえていた。

もしかしたらコンサートとアパートは、前後していたかもしれない。
どちらも音楽に関係があるなぁ。。。

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最初は、ラッパの合図で何かが始まるのかなぁ。。。と思ってましたが、
これは私に対する合図だと、後で理解しました。

朝の八時だから、
8の神?か何かの「反転の合図」なのではないかなと思えてきたのです。
私に対すると言うのは、
私が自分自身でメッセージを感じ取れるかどうかを試されたのかなと。
どこの情報にも頼らない、私の中の感覚での「反転」です。

だから二つのブログも位置を反転させて、模様も替えました。
そして今日中に、この記事を書かなければいけないような気がしたので
ぎりぎり間に合うか解りませんが、頑張って書いてます。(;^_^A アセアセ・・・

コンサート部分の解釈です。
最初の通路を動いて目立っていたのは、
多分昨日書いたあちらの記事人形の事ではないかなと。
多分、一日早く書いたことへのフライングだと思います。
先走りしてしまったんですね。
この記事は、今日の25日に書いてこそ意味があったような気がします。
25は「ふたご」、旧暦では2/4で24のリセット。
双子の呪のリセット、
そして死と再生という意味でも今日の日にちに相応しいかなと。。。
一度捨てた「男女ペアのピエロ人形」を、再生させたのですから。

なんで先走りしたかと言うと、前日に見た夢が気になったからです。

++++++++++++++++++++++++++++++
2012. 2.24.(金)  旧暦 2/3  月齢 2.2

どこか外国をツァーで旅行していた。
ショッピングビル内の二階で日本人のグループがギターで日本語で歌っていた。
外国で見かけるのは珍しかったので、その人たちの写真をずっと撮っていた。

気付いたら周りにはツァーの人が誰もいなくなってた。
集合時間に私は遅れたみたいで、待ち合わせ時間をよく聞いていなかった。
私の感覚では、このビルは宿泊施設の近くだと思っていて、
すぐに歩いて帰れるような気持ちでいたみたい。
インフォメーションで周辺地図をもらって見るが、
宿泊施設からはずっと離れた知らない場所みたいだった。

自分の荷物の中を探していたら、
いつのまにか車に乗ってて宿泊施設に向かっていた。
車の後ろの座席で自分の荷物を確認していて、
どうやら違う人たちのグルーブの所に間違って置いていたらしい。
車の中には二人女性が居て、運転している人と後部座席の私の隣に居る人。
その私の隣の女性が「乗せてくれてありがとう」と言ったので、
私は「へっ?」と勘違いされている事に気付き
「私はこの車とは関係がなくて、私がここに間違って荷物を置いていたので・・・」
と話しかけたら、その女性は
「間違いではないよ。今度からは時間に気を付けてね」
みたいな感じの事を言っていたような気がした。

どうやら私を探して乗っけてくれていたみたいだった。
「乗せてくれてありがとう」って、私が相手にお礼を言うべき状態だということを
気付きなさいという意味だったのかと後で解った…。

毎度のパターンです。_| ̄|○ガクッ

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また待ち合わせ時間に遅れてしまっていたのです。
だから今度は、遅れるより早い方がいいかなと、
昨日思ったことを急いでUPしました。
昨日は24日だから、リセットでいいかなと思って。

でも「一日早いよ」という意味で、夢でフライングしていたのだと思います。
自分の感覚ではなくて情報知識で判断して書いたので、
椅子に座った状態で車輪がついてる。
情報に動かされているという意味ですかね。

今日の夢の話に戻りますが、
コンサート会場で私の前にいる人たちは、地べたに座っていたんですね。
この意味は、まだ気付いてない人たちなんじゃないでしょうか。
私の列から後ろが立っている人たちだった。
ちゃんと「自分の足で立って」いる人たちという意味だと思います。

そして私はというと「椅子」に座ってた…。
まだ、椅子に座っている状態だから、早く一人で立ちなさいという意味ですね。
椅子を頭に乗っけてたのはイシスさんでしたっけ?
やはり、情報に頼ってないで、早く一人立ちしなさいという意味なんでしょうね。

私の一人立ちは、
ちゃんとメッセージを自分で受け取れるかという意味だと思います。
そういう意味で今日から反転ですので、
一人立ちに向けての一歩を歩き始めます!

それが今日の「反転」の決意です。



昨日、叔母とメールを交わしていて「はっ!」と気付いたことがありました。
先日叔父の前立腺癌が発覚してから、叔母は強度の精神不安定に陥りました。
昔から病気に関してだけは脆く気弱になる叔母でしたが、
今回も「もしもの孤独」に対して物凄く不安になったそうです。

そんな叔母にどうやったら、前向きに考えられるかといろいろ考えましたが
やはりそれぞれの因縁を自分で知って、自分で乗り越えるしかないなと
思いました。それで、次のようにメールしたのです。

人それぞれ「得意・不得意」があって、不得意分野が自分の因縁だと思う。
私の場合は人前で話す事が昔から苦手だった。
マンションの理事長も、誰かがやってくれるものと思って
今までは依存していたけどそれじゃいけないと思ったから、
今回は引き受けて自分で乗り越えようと思った。
今度4月に一番苦手な総会があるけど、
自分なりにこれまでの一年を振り返って準備して
頭の中にきちんと整理して総会に望めたら、例え言葉をきちんと言えなくても
誠意は伝わると思うから、それで良いのかなと。
それで一歩前進できると思ってる。
だから叔母さんも病気や孤独と向き合って、乗り越えられるように頑張って!」

そしたら、叔母から意外な返事がきました。
「それぞれ、得意・不得意があるんだね。
 私の場合は1000人以上の人前でも話すのは平気なんだけどね。
 うちは家族全員が病気検診などでは、心臓がバクバクしてくる。
 お互い、がんばろうね。」

これを読んで、気付いたのです。
そう言えば、うちの家族も皆、人前で話すことが苦手だなぁ。。。って!
そうか! 家族って、同じ不得意集団なんじゃないのかなって。
わざわざそこを選んで生まれてきているのかもしれないなって。
お互いが生活の中で「自分の不得意分野」を認識し合って、
それでも周りを見て学ぶ事も多い。

それで先日の「ある場面の出来事」が浮かんだのです。
2/19に叔父(父の弟)の7回忌法要がありました。
行くまでは何となく気が重かったんですよね。
こういう「束縛」された時間と言うのが、どうも苦手で…。
いつも何かにつけ失敗して親戚に注意されて怒られていた記憶もあるので、
きっとまた失敗するんじゃないかという恐れも心の奥にあるんでしょうね。
だから人前が苦手な意識があるのかなと感じてます。

それで法要が終わってホテルに移動して会食となりました。
ホテル側の人が、会食の前にいきなり父に
「献杯の音頭」をお願いしてきたのです。
父は突然の指名に驚き、その上
「献杯の音頭」を経験したことがまったくありません。
隣に座っている私の兄に、変わってやったら…という声も出てきましたが、
兄も人前は不得意で、しかも「献杯?」と初めて聞く言葉だったらしく戸惑ってました。

そうこうしているうちに、父は意を決したみたいで立ち上がり、
父なりに一生懸命言葉を選んで話し出しました。
そして最後に「献杯」というところを、「乾杯!」とやってしまいました。(;^_^A
何度も「献杯ね!」と教えていたのですが、耳の遠い父は聞こえてませんでした。
私は慌てて「すみません、父は耳が遠いので…」と周りに謝りましたが、
でも私は父を偉いなぁと見直してました。
私だったら他の上手な人にお願いして、多分話す事を「逃げて」いたと思います。
でも父は決して逃げないんだなぁ…と今までの記憶も思い出されました。

義父の葬儀での挨拶、甥っ子の結婚式のお祝いの舞、弟の葬儀での挨拶、
などなど。。。いろんな機会で父は「挨拶」する事の繰り返しでした。
多分、父自身にも「気付かなくてはいけないこと」があり、
それで繰り返しその機会が来ているのかなと思えますが、
苦手であっても逃げてないのです。
気付かなくてはいけない父の因縁を、父は気付く事があるのだろうかと心配してましたが、こうやって苦手でも逃げずに繰り返し経験する事で
相殺されているのかもしれないなと感じました。
そしてそんな父の姿を私に対して「見せられていた」のかなぁとも感じました。

その時の父の姿を見て、
私も「逃げないで目の前のハードルを乗り越えなくては」と気付かされました。
もしかしたら、こういう事に気付く為にこの日があったのかもしれません。
だからそこに集まる人たちにとっては「学び」の機会でもあったんだなと思いました。
今度からは苦手とせずに、気付きの学びの場だと思って、
注意深く観察しようと思ってます。

そういう事を思い出しながら理解できたので、叔母へのメールにも書きました。
「うちも不得意が似ている家族で、父は苦手なのにそんな機会ばっかり。(笑)
 でも、父は父なりに逃げないで一生懸命話しているので、
 そんな父の姿は参考になるし、尊敬してます。」

今まで見ようとしていなかった大事な父の一面を、
改めて知ったような「気付き」でした。
やはり家族は「学び」の宝庫なんですね。(;^_^A アセアセ・・・






夢 弓張岳と伝説の続きです。

佐世保を軍港とする為に、1916年に白縫姫の蛇島をコンクリートで埋め立てて地下に埋没し、
軍部はそこを旧海軍佐世保海軍工廠の一部として使用しました。
軍港となる事で佐世保は大きく発展し、たくさんの人がここに移住して来ました。
私の祖父もその一人で、佐賀の神埼郡から長崎市を経由して佐世保にやってきました。
祖父は海軍工廠の守衛の仕事を得て、父たちの兄弟姉妹を大きく育てました。
父は軍のお金で育ったのです。

そして父は米軍基地に勤める事になりました。
ここでは昔から、米軍基地かSSKの造船所が花形産業みたいな感じでしたから。
というより、それ以外は産業がなかったのです。

昔、小学校で「戦争は良くない」みたいな事を授業でやってて
それを夕食の時に話していたら、父がポツリと言ったのですね。
「アメリカに出て行けというけど、父さんはそこで働いているんだよ。
 お前が食べてるこの夕食も、そのお金で食べる事ができるんだよ」と。

これが、私が最初に受けた「理想と現実のギャップ」でした。
戦争は良くないけど、その享受を受けて私は育っている。
それは否定できない現実であり、私は何も言えなくなりました。

何故、この場面が今思い出されているかというと、
執着を解く鍵が、ここにあると思えたからです。

戦争が良くない事は誰にでも解っている。
でも、大きな流れの中で、自分もその『悪い戦争』側に乗っかって
それで育っていたということ。
闇は良くないと言いながら、知らずに自分も闇側にいた事を忘れている。
闇側にお世話になったことを忘れている。
それこそ、「夢の中でイシスさんにお世話になったようで泣いていた」事を
意味していたのかなと思いました。

誰だって、悪い事を率先してやっているわけではないのかも。
正しいと思ってやっている事も、気付かない部分では闇側と繋がっていて
どこからどこまでが「正しい」のかも解らない。
そういう事なのかなと、ふと思ったのです。

だから見方によって「敵と味方」が別れてしまう。
生きていく上で、闇も光も両方が存在した世界で私たちは生きて経験しているということ。

これは「原発」でも同じ事が言えますよね。
今原発事故を経験して、改めてその危険度が重要視されているけど
事故が起きなければ、決して解らないことだった。
それまでは「便利に有り難く」享受していたのに、それさえも忘れて悪者に仕立ている。
それを利用してきた過去があるなら、やはり私の過去の体験と同じ事が言えると思うのです。

戦争を非難しているのに、自分はそのお金で育っていた。
原発を非難しているのに、自分はその便利さを当たり前に享受してきた。

闇だけが一方的に悪いのではなく、自分も闇に関わっていたということ。
闇という見方も、当時は闇ではなく光側だったんですよね。
原発だってエコでクリーンなエネルギーとして「光側」だったのですから。
だから闇と光も見ている方向で逆転するのかなぁ。。。
両方が存在している次元で生活していたに過ぎないのかなと。

だから今までこの地を「力で支配された」と被害者意識に見るのではなく、
自分に取っては「育てて貰った」部分もあったので、
そこはやはり感謝すべきなんだなと思いました。

過去を感謝しながら、それでも自分の求める方向へ進む努力をする。
そうしていく事で少しずつ「力の支配」のバランスも変わってくるのかなと感じました。

過去の「否定」ではなく、「肯定」。
どんな過去も、それは光も闇も共に存在していて、
だからこそ過去を肯定して感謝し前へ進む。
過去があったから、今の自分が存在しているというのは事実なんだから。
どんな過去であっても、そこを通過して今の私がいる。

過去を否定しては何も進まないように思う。
否定こそが「執着」となってしまうのかな。。。
そこに留まり続けてしまう事になるのかな。。。

そうなんだよね。
だから人身御供となったかもしれない蛇島の「白縫姫」さんの過去の時代の佐世保に感謝して
また、旧日本海軍が支配した祖父の時代の佐世保に感謝して
そして、米軍が支配した父の時代の佐世保にも感謝する。
「戦争への否定」も確かにあるけど「生活できた肯定」もあるからこそ、
この地に生まれ育った私は、戦争否定を感謝の方向に変えるべきなのかもしれない。
決して戦争を肯定はできないけど、
それによって育ってきた過去は変えられないからこそ感謝に変えるべきなんだと思った。
そして「戦争が必要ない」方向に持って行く責任もあると思う。

「力の支配の無い未来の佐世保」へと変われる様に
新しい時代を自分たちで作り上げていく事に繋がるのかな。

自分の育った過去を通して、「光と闇、善悪」が少しですが理解できたような気がしました。

2/7に商店街を歩いていたら、歌が聞こえてきた。
昔流行った、弘田三枝子さんの「人形の家」の歌が流れてた。
「わたしは~ (は)なたに~ 命を~ 預けたぁ~♪」
この時は「命を預けちゃダメだよ~!!って思ってた。

それから家で家事をしている時に「埃にまみれた~ 人形みたい~」のフレーズが
時々浮かぶようになって口ずさんでいた。

そして今日、夜に洗濯物を畳んでいたら、奥の方の畳の上に「埃の塊」が見えた。
布団の上げ下ろしの綿埃の塊です…。
あら…、お掃除寒くてサボってたっけね…。
それからどうにもこうにも、埃が気になりだした。

あっ!「埃にまみれた~ 人形みたい~」って、私の事だったのか…。_| ̄|○ガクッ
この埃まみれの状態を言っていたんだ…。
早く掃除しなさいって…。
建国記念日にぎりぎり間に合うか?
夜遅くの掃除機なので、和室回りだけでやめときましたが…。
明日は徹底的に、お掃除しようと思います。

やっと、この歌の意味が理解できました。(;^_^A アセアセ・・・
夜の10時に掃除機掛けて、周りに迷惑かけてる自分が情けないっす…。

こういう気付きが、一番大事なんだなと理解しました。




miraes

Author:miraes
夢を中心に書いてますが、日常と照らし合わせて自分を見つめようと模索しているブログです。
 

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